季節は春。木々は芽吹き花が咲き、スタートの4月。色とりどりのランドセルを背負ったピカピカの一年生を見かけると自分の幼い頃の事を思い出します。
何故自分のランドセルは赤なのだろうと。女子は赤で男子は黒。私は赤色が好きではなかったし、ランドセルは黒の方が断然カッコいいと心に響いただけだけれど選択肢は赤のみの時代でした。
今はいい、ランドセルの色はバリエーション豊富だし、色で性別をまとめられる事もありません。模型店にも一人で堂々と入れるし、一人で蕎麦屋に行って熱燗も頼めます。女の子、男の子の遊びと明確に分けられていた時代。女の子は少年野球チームには入れなかったもの。そんな1965年生まれです。
*小学生の私、プラモデルに出会う!
小学生の頃、とにかく図画工作が苦手で仕方が無く、絵を描くことも粘土細工も、想像した事を手先に連動させる事がひどく苦手な子供でした。プラモデルはそんな不器用な私にとって一生懸命に説明書を読めばなんとか形になるという達成感を与えてくれたものでした。きっかけは、何とも悲しい出来事ではあったけれど、今では「これがいいんだよ」ってプラモデルを買った叔父に感謝しています。
何とも悲しい出来事・・・、お小遣いでおもちゃを買いに行こうということになり叔父と向かった地元の玩具店。女の子の憧れリカちゃん人形、ウルトラマンの怪獣のソフビ。その中でもプラモデルの陳列棚はどこか大人びた一角だった気がします。
それというのも、箱に描かれたイラストは車や戦車、飛行機といったもので、それも実に写実的で今にも動き出しそうな絵だったからです。私にはその箱の中にはどんな世界が詰まっているのかなんて全く想像出来なかったし、それは、私にとって楽しいおもちゃであるとは全く思えなかった記憶しかありません。
*初めてのプラモデルはタミヤの1・24マルティーニポルシェ935ターボ
私の意向は完全に却下され、叔父はためらうことなくそのプラモデルを買ったのです。家に帰り叔父はかっこいい車の絵が描かれたその箱(長くプラモデルを続けて来て、そのかっこいい箱絵を描かれた島村英二さんにお会い出来たことは光栄の極みでした。)を開けると、箱の中には全く想像もつかないプラスティックの切れ端のようなものがならんでいて、叔父は、説明書を見ながらその切れ端を切り取ってはくっ付けて行くわけです。
とにかく見守ることしか出来ない私。どのくらいの時間が過ぎたのか、気がつくと箱絵の車が出来上がっていたのです。これは衝撃的でした。図画工作嫌いな私にもこれは何かを形にする事が出来るのではないかと。プラモデルは、説明書通りに作れば大好きなものが形になるんだと、自分の好きなものが凝縮されて目の前に現れるのだということに心動かされたのでした。
作りながら車や飛行機の設計者の気持ちになれたり、ドライバーやパイロットの気持ちにもなれるのです。お城であれば、まさに城主の気分です。実物が手の中に収まる高揚感、細部を全て見ることが出来る、これはミニチュアならではの素晴らしさです。
*時代はまさにスーパーカーブーム
あの頃の子供たちは本当に車が大好きでした。舌を噛みそうな外車の名前をスラスラと覚え、リトラクタブルヘッドライトだとか、シザーズドアとガルウイングの違いとか、小学校の休み時間には車の話題は尽きなかった時代です。アイドルがスーパーカーを題材に歌い、クイズ番組までありました。車メインのアニメは子供たちの心を鷲掴みにしていました。
今とは違いスマホはもちろんカメラだってデジタルカメラなんてありはしません。ネットの環境だってあるわけもなく、どこそこにイベントがあるという情報が入ればカメラを抱えて出向き、憧れのスーパーカーを撮影し、お金を出してコクピットに座らせて貰えた子供はヒーローにもなれたのです。
学校の休み時間にはスーパーカー消しゴムでのレースが始まり、ボールペンのバネの強化、タイヤ部分を良く滑るように加工。欲しい車種が手に入らずに悩む日々。夢中になれる何かを子供たちは上手に探して遊びにしている時代でした。
私の子供の頃は特撮ヒーローものも全盛期です。私は、仮面ライダーが大好きでした。母の知り合いの女性が何かの折に私にプレゼントを買って来てくれたことがありました。たしか、ディズニーのキャラクターのおもちゃだったと思います。私はそれが気に入らないと泣いて抗議してしまうというわがままぶり、困ったその女性とそのディズニーのおもちゃを返品して仮面ライダーの紙芝居と交換して貰ったことがあるのです。ソノシートが付いていて、それを聞きながら絵を送るというもので、大いにご満悦な笑顔のわがままな私がそこにいました。
人形が苦手で怖いと思う子供だったので、雛人形は特に怖くて仕方がありませんでした。男の子の節句の鎧兜が大好きで欲しいと親を困らせることもしばしば。ついには、叶わぬと知り、プラモデル屋さんに飾ってあった鎧兜のプラモデルを買うことを決心。懸命にお小遣いを貯めて購入しました。たしか、あの頃で5千円くらいしたのではないかと思います。あまりに大きな箱を両手で抱えて家まで帰った夕方の道を今でも懐かしく思い出します。嗚呼、それなのに・・・、難しすぎて玉砕。大きな箱にバラバラになったキット、悲し過ぎます。そして数年前にリベンジを果たしたことも、小さな頃のプラモデルの良い思い出です。子供の頃に作れずに断念したプラモデルも今になっては完成することが出来るというのも長くプラモデルを好きでいたからだと本当に思う今日この頃です。
小学生の頃から時代劇が好きだったこともあり、中学生に上がる頃には車のプラモデルから寺社仏閣、城などのプラモデルに夢中になりました。城のプラモデルは塗装済みなものが多かったので素組みで楽しんでいました。エアブラシなぞを使う身分となっては、もう少し凝った作りもしたくなって、あの頃の作品を作り直したりしています。そう、子供の頃に玉砕したもう一つの大型キット、童友社1/220ノイシュバンシュタイン城も見事にリベンジさせて頂きました。
*そして、あの空前のF-1ブームの到来。
私はまたカーモデルに夢中になるのです。ラウダが復活し、プロスト、セナと時代の寵児が次々とモータースポーツ界に登場してきました。
私はナイジェル・マンセルの大ファンでした。私はセナファンではなかったけれど、あの五月のサンマリノグランプリでの悲劇のあと、私はこんなにも泣くことが出来るのかと驚いたのを覚えています。ちょうどその時に頂いたマクラーレンホンダMP4ー6タミヤの1/12のビッグスケールをゼッケン2のベルガーにする予定で製作を始めていました。しかし、あの事故のあと、私は躊躇うことなくゼッケンは1にしました。セナが愛したホンダのマシンをしっかりと作りたいと思ったからです。
ちなみにフォーミュラーカーの中ではホンダRA272が憧れの車です。私は1965年生まれという事もあってRA272は格別な車です。その年のF-1メキシコGPにてHONDAがオンリーワンで初優勝を果たしました。葉巻型のボディにグランプリホワイトに日の丸という何とも潔いデザイン。今まで一番作ったプラモデルであることは間違いありません。
*ちょっとだけ飛行機モデルの話を
ある飛行機模型を知人に頼まれたことで、私の中でプラモデルに対する思いがもっと増した出来事がありました。頼まれた飛行機は「紫電改」。ハセガワ1/48スケールを製作しました。ご依頼の内容はその方のお父上が戦時中に搭乗していた紫電改ということでした。その方のお父上は長崎県の大村航空隊に所属されていたということで、尾翼に352-16と記して欲しいとのことです。それを、愛媛県松山市で開かれる戦友会に持って行きたいと・・・。尾翼のデカールは雷電から流用し、手書きで修正しました。
製作時に紫電改の色について川西飛行機のグリーンはちょっと変わっていて調色することになるのですが、これが本当に不思議なことにブルーを混ぜながら絶対的な確信を持って「これだな」と思ったのです。
そしてテスト吹きして私は太陽の下でその色を確認しながら「間違いないな」と。もちろん、私は紫電改の本物の色を見た事はありません。無事に製作を終え戦友会に間に合うようにお渡し致しました。
そして、思いも寄らないお話を聞く事になるのです。実機に乗っていた方がその紫電改を「外で見たい」と仰ったというのです。そして、陽に照らされた紫電改を見ながら当時を思い出し、涙を流しながら「この色だ・・・」と。「これはT君(依頼人の父上)の機体番号だね」と。
あの調色の時の「確信」は間違いなく何かの力の後押しだったのだと。自分が楽しむことはもちろんだけれど、プラモデルには誰かの思いを託すことも出来る力があるのだと私に教えてくれたのでした。
*Mokejo(模型+女子)のこと
Mokejo(模型+女子)を作ったきっかけは女性だけの作品をまとめにて展示をしたらどんな感じだろうと思ったこと、私自身は女性であることをあえて全面に出しての活動はしていなかったのです。面倒だったのが1番の理由でした。
女性モデラーとしてパイオニアであるオオゴシトモエさんを口説き、彼女が参加してくれるのであれば私はMokejo(模型+女子)を立ち上げようと心に決めました。2009 年の秋のことです。何人かの女性モデラーにも声を掛けました。みんな心からプラモデルを楽しんでいる方々でした。
今は女の子が普通に模型店に行っても何の問題もない時代になっています。当たり前になったことが嬉しいのです。私の子供の頃は大変でした。家族に頼まれたものを買いに来たようなふりまでしてお店に行っていたのですから。好きなことを当たり前に好きだと言えることがどんな凄いことなのか。当たり前が当たり前でなかったことが不思議だと思えることが凄いことなのです。
そして「モケジョ」は普通に一人歩きして模型を作る女性のことを示す言葉となりました。私たちMokejo(模型+女子)も10周年を過ぎ、「模型+女子」から「模型+ JOY」へと変わりました。女性がプラモデルを好きでも別に変わったことではないのです。
私たちMokejo(模型+JOY)は10年の時を経て、良い趣味というのは性別に関係なく楽しむことが出来ると確信しました。たくさんの皆様に支えて頂き歩みを止めずに来られた事に心から感謝し、これからも模型のある空間で楽しい時間を共有したいと切に望んでいます。
*いまこそプラモデル
まさに「いまこそプラモデル」です。家にいる時間が多くなる中、ご家族でぜひプラモデルを楽しんで頂きたいです。映画を見て登場するロボットや車や飛行機を作るのも良いでしょう。昔訪ねたことのあるお城や、神社仏閣でもいいでしょう。家族で一つのものを作り上げるのはきっと楽しい時間だと思います。
いま、道具を上手に使うことが出来ない子供たちが増えています。プラモデルを通して正しい工具の使い方も学べます。子供たちの模型教室を開催するとこちらが勉強になります。どうか、大人は子供たちの無限の想像力の邪魔をしないように気をつけて下さい。例えば、「恐竜は誰も見たことないから自由に作っていいよ!」と言えば彼らの感性は解き放たれ、こちらの想像の上を行ってくれます。そして、自粛でstay home解禁となれば、本物の車や飛行機、建物をご家族で見に行くのも良いでしょう。
*最後に
こんな私にいつの間にか雑誌での作例製作の依頼や、いろいろなメディアに取り上げて頂くようになった事は本当に有難い事です。プラモデルから本当に沢山のことを教えてもらい、沢山のご縁を頂きました。これからは、模型業界に少しでも恩返しが出来たらと思っている今日この頃です。
このコロナウィルスによる模型業界のイベントはことごとく中止となっています。私が主催する「ものつくりフェス」も三月開催が八月へと延期となっていますが八月の開催も危ぶまれます。
辛抱の時を乗り越え、模型のある空間で笑顔の「再会」そしてイベントの「再開」が出来る日常を早く取り戻せるように今しばらく引きこもり、巣篭もり、致しましょう。自分のために、そして愛しい誰かのために。