カートイワークス グランプリ

"数多のカー雑誌デザインを手掛けたデザイナー" 瀧上徳和 様【第8戦 カートイワークス グランプリ】

エディトリアルデザイナーの瀧上徳和です。編集者の石黒智樹さんからご紹介いただきました。今回は私の「ミニカーやプラモデルを集めるようになるまでの自分史」をお話をさせていただきます。

1967年(昭和42年)東京都渋谷区初台に生まれ、幼稚園の時に神奈川県横浜市に引っ越しました。幼少の頃横浜高島屋5Fのオモチャ売り場に行くのが楽しみでした。しかし、その当時はメーカーなどは全く分からず、友達みんなが持っていたトミカミニカを同時に買っていました。

ショーケースの中のミニカーは高くて買って貰えませんでした。当時の悲しみは今でも覚えていて、今は自分でショーケースを作っています。

 

小学生の頃ホビージャパン誌と出会ったことで1/35スケールのミリタリープラモにハマりました。兄はドイツ軍、私はイギリス軍を買って作っていました。イギリス軍のプラモは国内メーカーからはあまり製品化されておらず、一通り作り終えてしまってすぐにネタ切れになってしまいました。

しかし海外メーカーなら種類があったので、渋谷パルコのポストホビーに買いに行っていました。そこには輸入プラモが山のように積まれていて、ちょっとした特別感があり、訪れてその山を見るだけでも気持ちが高ぶった記憶があります。

 

小学生高学年になるとRCブーム到来しました。友達の間では1/12スケールのタミヤセリカLBターボ540モーター7.2Vカドニカバッテリーが支流でした。

LP500S934RSRとかは全部揃えると数万円にもなる、小学生ではお年玉をはたいても到底買えない代物です。しかし、周りの友人たちはみんな持っていました。羨ましくてなんとか親に頼み込んで、買ってもらえたのはクリアボディの1976 コルベット "グリーンウッド"でした。恐らくニチモだったと思います。
フタバプロポ540モーターもなんとか買えたのですが、7.2Vカドニカバッテリーだけはお小遣いが底をついて買えませんでした。そこで苦肉の策で、単一電池を数個並べることに…。いざ動かすと話にならないぐらい激遅で、友人たちとのレースも出来ず終い。数ヶ月後に7.2Vカドニカバッテリーを買ったのですが、ブームは既に去っておりました。

 

中学に入ると、部活とは別にクラブ活動というものがあって授業の時間割に組み込まれていました。どのクラブに入ろうか見てみると、なんと「プラモデルクラブ」があるではないですか。授業でプラモを作れるということで迷わず入りました。
クラブで作るプラモを買いに、横浜伊勢佐木町のオデオンビルの模型屋日活会館の2Fのプラモ屋に足を運ぶことが多かったです。そこは壁一面が洋プラでした。夢のような光景でした。そこで私はレベルの1/25の’56 F100を買いましたが、中学生にはハードルが高く、全く作れませんでした。

また、プラモとは話が離れますが、家の近くに地域限定のプールがあり、水を張っていない時期に毎日のようにスケートボードをしに行っていました。スケボーの火付け役・Z-Boysが干上がったプールに忍び込んで遊び始めたのが最初と言われていますが、ちゃんと解放されたプールでしたよ。ちなみに、当時使っていた板は樹脂製で、たしかグラスファイバー製とウッド製のモノもありましたね。
そんなこんなで、中学時代はプラモとスケボーの毎日でした。

 

高校ではサーフィンとパンクに出会い、プラモデルやミニカーとは離れていました。小田急線鵠沼海岸に行ってサーフィンをし、横浜シェルガーデン横浜西口のビブレ最上階のライブハウスでライブを見たり。そんな日々を送っていましたね。
横浜シェルガーデンでは、日本のパンクバンド「ALLERGY (アレルギー)」を初めて見て感激しました。石川町のタワーレーコード新宿のUKエジソンもかなり通いました。
その当時はPVが流れ始めたころで、テレビ神奈川の毎週金曜日の夜中にやっていた「SONYミュージックTV」を欠かさず観ていました。ひたすらPVを流す番組なのですが、番組内にLIVEのコーナーがあって、そこで初めてイギリスのパンクバンド「SPECIMEN(スペシメン)」を観ました。その時に感じた衝撃は今でも心に残り続け、録画したVHFのテープは今でも持っています。


高校を卒業後、専門学校に入学するのと時を同じくしてクルマの免許を取得しました。当時サーファーの間ではマツダ ファミリアBD型が流行っていて私も欲しかったのですが、55~60万くらいとかなり高い中古価格だったため買えませんでした。

そこで買ったのが、見た目がなんとなく一緒の初代日産マーチ。中古で35万円で買いました。エンジンが1000ccしか無く、全く馬力がありませんでした。友達と箱根に行くと必ず置いてけぼりになっていました。そんなマーチも愛着があり、生麦駅の近くのガソリンスタンドでインパルのホイールを買って、履かせていたりしました。

最近知ったのですが初代マーチジウジアーロのデザインだった!!どうりでかっこいいわけです。

そんなマーチはいつしかスケボーのお供となり、スケボーのランプを積む為に後部座席は全部取っ払い、ランプとデッキを積んで、逗子マーナへ通い詰めていました。これが第2スケボーブーム!

20歳になって表参道のデザイン事務所に就職して何年か過ぎて、トミカミニカもすっかり忘れていた頃、高校の友達から「アメリカのミニカーのイベントに行こう」と誘われ。何も考えずにLAまで行きました。
そのイベントは、子どもの頃に遊んでいたホットウィールのイベントでした。今から30年前ぐらいでしたから、人もそんなに居なかったような記憶があります。それから現在まで、何回かアメリカのホットウィール コンベンションに行きました。

そこから私はミニカーやプラモデルを集めるようになりました。

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瀧上 徳和
1967年、東京都生まれ。横浜育ちでデザイナー専門学校卒業後、表参道のデザイン会社に就職。デザインの全般の仕事、後に映像の分野に幅を広げCMやTV番組のタイトル映像の仕事をする。HWのフルCGのCMも制作しました。今はレジンキット制作と雑誌レイアウトの仕事をしています。
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