カートイワークス グランプリ

【第4戦 カートイワークス グランプリ】高桑秀典 様(後編)

アルファロメオというイタリア車に傾倒していった

前編はこちらです

前編の締めくくりにて、高校生になって原付の免許を取り、ヤマハの50ccをいろいろ買って、パッソルDT50RZ50などを愛用しつつ、その後、本格的にクルマに目覚めてアルファロメオという名のイタリアのクルマに傾倒していったことをお伝えしました。

この後編では、少しだけ英国車のことが気になりながらも、アルファロメオに憧れ続け、1998年実車を買ってしまったというエピソードを書きたいと思います。

まず最初に憧れたのはジュニアZ

数あるアルファロメオの中でも、筆者が好きになったのはジュニアZというモデルです。ジュニアZは、1969年から1975年まで生産されたスタイリッシュなロードカー1970~72年に1300cc版が1108台、1972~75年に1600cc版が402台デリバリーされました。わずか1510台しか生産されていないので、かなり稀少アルファロメオだといえます。

直線基調のウエッジシェイプはカロッツェリア・ザガートが描いたもので、車名の最後に付けられた「Z」はザガートの略です。大ヒット作となったアルファロメオ・ジュリア系の派生モデルとして1969年のトリノ・ショーでデビューしたジュニアZは、アルミボディが与えられた、それまでのSZTZといったザガート系アルファロメオとは異なり、レースに参戦しないロードカーとして設計されました。そのため、車体はスチール製でした。ちなみに、ザガートがデザインした個性的なアルファロメオは、その後、1989年デビューアルファロメオSZ(ES30型)が登場するまでリリースされませんでした。

ジュニアZが好きすぎて紙粘土で制作

いま思うと完全に若気の至りなのですが、高校2年生のときに紙粘土でジュニアZのプロポーションを模したモノを自作してしまいました。
近所のホームセンターで針金をたくさん買ってきて、ジュニアZの形っぽくフレームを組み、そこにペタペタと紙粘土をくっつけていったのです。自分では、なかなか上手く作れたと、いまでも思っています。
高校2年生のときは、すでに友人たちと原付バイクでツーリングに行ったりしながら自宅でバイクいじりを楽しんでいたので、さまざまな工具が揃っていて、針金を曲げたりすることが容易だったんですね。
物持ちがいいので、高校2年生のときに紙粘土で作ったジュニアZも自宅で保管しており、今回写真を撮っておきました。

1998年に実車のアルファロメオを購入

高校を卒業し、大学生になってからもジュニアZへの想いが消えることはなく、ずっと憧れ続けていました。ですが、18歳で普通自動車の第一種運転免許を取り、クルマを運転できるようになったものの、いきなり稀少かつ高価なアルファロメオを買えるだけの軍資金が手元にあるはずもなかったので、まず、中古の日産マーチ・ターボを買って、それにしばらくのあいだ乗っていました

大学卒業後、高校時代の友人宅が個人経営していた貸し布団屋さんでずっと働いていたので、自動車雑誌のエディター/ライターになったのは27歳のときのことですネコ・パブリッシングという、いまでも数多くの趣味系雑誌をリリースしている出版社の契約社員になり、ここでほんの少しだけ働きました。
結果的に短い期間しか働かなかったのは、貸し布団屋さん時代に貯めた貯金とネコ・パブリッシング時代の給料と合わせたら軍資金が200万円ほどになり、アルファロメオ買って、すぐさま退社してしまったからです。退社の翌日からフリーランスエディター/ライターとしてネコ・パブリッシングで仕事をさせてもらえたので、その寛大さにいまでも心底感謝しております

私がアルファロメオを買ったのは、自宅から最寄りのアルファロメオ専門店です。冒頭で「少しだけ英国車のことが気になった」と書きましたが、本当に短期間ではありましたが、自動車雑誌のエディター/ライターになり、さまざまなクルマに触れているうちにMG-B GTのこともカッコイイなぁ~と思うようになったので、実はアルファロメオ専門店に行く前に都内にある英国車専門店にて売り物をチェックしたことを告白しておきます。このときに見たMG-B GTもそれなりにコンディションとボディカラー(ブラウン系)がよかったのですが、やはり、初志貫徹で行こうと思い、契約することなく英国車専門店から帰ってきました

ということで、ジュニアZに憧れ続け、初志貫徹で最寄りのアルファロメオ専門店ジュニアZを買いに行ったのですが、売り物を見せてもらっているときに専門店の社長さんから

ジュニアZは維持するのが大変なので、人生初のヒストリックカーとしてジュニアZを買うのはやめておいたほうがいいかもしれないよ。まずは維持しやすい普通のクーペモデルを買って、それに慣れてからジュニアZにしたほうがいいでしょう」

と優しく諭されたこともあり、その言葉を信じて1974年式アルファロメオGT1600ジュニアを買うことにしました。

このとき(1998年)に購入したアルファロメオGT1600ジュニアあまりにも楽しいクルマだったので、結局ジュニアZを買うことなく2019年を迎えてしまいました。

マイカーのミニカーを複数ゲット

マーチ・ターボを売って、アルファロメオGT1600ジュニアを買ったので、オンタイムもオフタイムもアルファロメオに乗るというカーライフが27歳のときにスタートしました。どこに行くのも一緒で、そんな生活を21年間も続けていますが、買ったときに18万kmだった走行距離は28万kmまで伸びました。購入時にだったボディカラーは、外装の鈑金塗装によって白になり、その後、内外装とも水色になって今日に至っています。

我がアルファロメオGT1600ジュニアは、いわゆるメジャーな「段付き」ではなく、ヒラメと呼ばれることもあるフラットノーズの2灯仕様なので、同型車のミニカーを見つけるのが難しく、これまでに見つけることができたのは1/43スケールではわずか3台だけでした。でも、我慢できずにフラットノーズの4灯仕様や段付きのミニカーも買ってしまったので、イイ感じのアルファロメオ・ミニカーコレクションを構築することができました。

我が愛車をモデルとしたミニカーが登場

継続は力なり、という言葉がありますが、長きにわたってアルファロメオGT1600ジュニアを愛用していることが各方面に浸透し、ホビーカンパニーのトミーテックが1/64スケールのアルファロメオGT1300ジュニアおよびアルファロメオGT1600ジュニアをモデル化する際に我が愛車を採寸してくれました。ボディカラーこそ違いますが、自分のクルマがミニカーになるのはウレシイことで、ヒストリックカーオーナー冥利、ミニカーコレクター冥利に尽きるといえます

1998年に買ったアルファロメオGT1600ジュニアは、いま、親しみを込めて読者の皆さんから「水色号」と呼ばれており、ヒストリックカーラリーやサーキット走行会の参戦レポートを作る際に大活躍してくれています。本州の各地はもちろん、船で運んで九州や北海道も走ることができました。

旧いイタリア車の購入をきっかけとして、ここまで人生が充実するとは思わなかったので、なんか、不思議な気分です。自分のクルマが題材となったミニカーを眺めながら、これからも
ニンマリしたいと思います。

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高桑 秀典
1971年、東京生まれ。デジカメの性能向上により自ら写真も撮影するようになったが、本業はフリーランスのエディター兼ライター。1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中。2児の父。日産車が大好きなので、長男の名は「国光」。
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