イタリア車のミニカーについて(前編)
世界中のあらゆる車両が製品化されているミニカーのなかでも、イタリア車にはデザイン性の高さと独特の個性を備えた車種が多く、昔から不動の人気を保っています。
フェラーリ、ランボルギーニ、アルファ ロメオ、そして新旧のフィアット 500など、例を上げればキリがありません。なかでもイタリアン・スポーツカーには「スーパーカー」と呼べる車種が多く、いつの時代も憧れの対象であり続けています。
そこで今回は、数あるイタリア車のなかから、1970年代から1990年代にかけて登場した、記憶に残るスーパーカーを中心にご紹介。さらにミニカーの世界にハイディテールの金字塔を打ち立てた、ミニカー界のスーパーカーについても取り上げます。
スーパーカーブームで人生が決まる
私にとって、クルマとの出会いはトミカから始まりました。いわゆる「黒箱」に入っていた1970年代のトミカは、実車の特徴を的確に捉えたリアルなボディと、ドア開閉などの豊富なアクション、そしてサスペンション機能を備えた走りの良さで、すぐにその虜になりました。
朝から晩までトミカ漬けだった幼い「カーキチ」に転機が訪れたのは、小学生時代に突如巻き起こった「スーパーカーブーム」。その中心的な存在となった池沢さとし先生の漫画『サーキットの狼』では、私にとって未知の世界だった世界のスポーツカーたちが激しいレースを繰り広げていました。
当時のヒーローは、やはりランボルギーニ・カウンタックです。スーパーカーカードはもちろん、筆箱や下敷き、メモ帳など、身の回りの文具はカウンタックでトータルコーディネート。なかでもウルフ・カウンタックの存在感は別格で、当時多数存在していたレプリカ車両にも熱いまなざしを送っていたほどでした。
写真はダイヤペット製のランボルギーニ・カウンタック LP500S。スケールは標準的な1/43より少し小さめの1/40で、ドア、エンジンフード、リトラクタブルヘッドライトが開閉。今から40年以上前の製品ながら、全体的な表現は現在の目で見ても良好。再現度の高さと豊富なアクションを両立していました。
スーパーカーのミニカーでは、当時発売が開始された『トミカ外国車シリーズ』はもちろんのこと、ダイヤペットやサクラ製のミニカーも増えていきました。なかでもサクラのスーパーカーシリーズは、1/43スケールという標準スケールに加え、ドア、エンジンフード、リトラクタブルヘッドライトなどの開閉アクションが豊富で、当時としては画期的な製品でした。
プラモデルとゲームでスーパーカーを満喫
スーパーカーブームの終焉に伴い、私自身のマイブームもミニカー遊びから模型製作に移行していきました。特にタミヤの1/24 スポーツカーシリーズは、圧倒的なリアル感と手頃な価格、それに組み立ても容易と三拍子揃っていたため、多くのキットを組み立てました。
なかでも1986年に発売されたフェラーリ・テスタロッサは、12気筒エンジンとサスペンションをサブフレームに取り付けてからシャシーに合体させる、実車そのままの組み立て方法を採用。組み上げるときの歓びと完成後の感動が大きい製品で、いまだに記憶に残っています。
さらにフェラーリ・テスタロッサは、ゲームの世界にも大きなセンセーショナルを巻き起こします。
タミヤのプラモデルと同じ1986年にデビューしたセガのアーケードゲーム『アウトラン』にも大いにハマりました。クルマ系ゲームの傑作として今も語り継がれる『アウトラン』とは、軽快なBGMをバックに、彼女を乗せたスポーツカーを走らせ、自分の好きなコースを選んでゴールを目指すゲーム。
従来のレースゲームのようにサーキットを周回したり、順位を競うのではなく、ドライブゲームという新たなカテゴリーを創出したのです。またデラックス版の大型筐体では、ステアリング操作に合わせて筐体がロールしたり、クラッシュ時にはガタガタ揺れる機能が備わっていました。
この『アウトラン』でプレーヤーが操作するクルマが、オープンボディのフェラーリ・テスタロッサ。カタログモデルには存在しない車両で、実車は元フィアット会長ジャンニ・アニエッリのために製作されたワンオフモデルと、非公式に改造された車両しかありません。しかし、その美しさは絶品で、ある意味、現実にはない世界をゲームで体験させてくれたのです。
ミニカーの世界でも、オープンボディのフェラーリ・テスタロッサ・スパイダーは存在します。
まず、エンジンフードの形状がノーマルとは異なる前述のジャンニ・アニエッリ仕様は、イタリアのポケール社が1/8スケールで、日本のアイドロンが1/43スケールで製品化。そして、いわゆる『アウトラン』仕様のエンジンフードを備えるスパイダーは、ドイツのヘルパ社が1/43スケールで、日本の京商が1/64スケールでそれぞれ製品化しています。
写真はヘルパ製の1/43 Ferrari Testarossa Cabrio。ゲーム内でクルマ全体の姿が見られるのは、スタート/ゴール時と、スピン、クラッシュをしたときしかないだけに、自分の好きな角度からじっくり観察できるミニカーは貴重な存在です。
世界を制したスーパーカーの究極、ランチア・ストラトス
現在のイタリア製スポーツカーブランドといえば、フェラーリとランボルギーニ、そしてマセラティ、アバルトあたりが思い浮かびます。しかし、スーパーカー世代にとって決して忘れられない存在が、ラリー専用マシンとして開発されたランチア・ストラトスです。グループ4時代のWRC(世界ラリー選手権)において圧倒的な強さを見せただけでなく、スポーツカーレースでも活躍。オン/オフの両方で速いという意味では、数あるスーパーカーの中でも別格の存在といえます。
これまでさまざまなミニカーがつくられたランチア・ストラトスは、現在も1/87から1/12スケールまであらゆる製品があります。近年はシャープな造形を特徴とするレジン製ミニカーが増えてきたこともあり、実車の雰囲気をそのまま縮小したようなミニカーも入手できます。
ただ、最近の繊細なレジン製ミニカーは、高いクオリティと引き換えに取り扱いに気を遣う必要があります。手に持っていろいろな角度から眺めたりするには、もっと手軽に扱えるミニカーのほうが良かったりします。
その意味では、トミカプレミアムのランチア ストラトス HF ラリーは理想的な一台。スケールは1/58の手のひらサイズで、価格は税抜800円。トミカプレミアムにはフェラーリやランボルギーニのモデルもあるため、スーパーカーのミニカーコレクションを手軽に楽しむことができます。
もうひとつのスーパーカー、グループBラリーカー
WRCに熱狂を巻き起こしたグループBラリーカーも、1980年代を代表するスーパーカーといえます。
グループBとは、1983年シーズンに向けて設けられたWRCの車両規定で、連続した12ヶ月間に200台以上生産した車両に対して参加資格を与えるというもの。
200台の規定生産台数をクリアすれば事実上どのような車両でも参戦できたため、百花繚乱のモンスターマシンが登場。0-100km/h加速でF1と同等のタイムを叩き出すような過激すぎるマシンが、公道上を信じられないスピードで駆け回っていました。
ランチアは1982年にいち早くグループB規定に合わせた車両を発表。
それがアバルトのコードネーム「037」で知られるランチア・ラリーです。
WRCはすでにターボエンジン+フルタイム4WDのアウディ・クワトロが圧倒的な速さを見せていたにもかかわらず、ランチア 037 ラリーはスーパーチャージャー付きエンジンをミッドシップに搭載した後輪駆動車として登場しました。
マシンの熟成に時間を要したアウディに対し、コンベンショナルな設計のランチアは即戦力があり、数々のイベントで優勝。
1983年にはアウディを抑えてメイクス・タイトルを獲得しました。新世代のフルタイム4WDに対して後輪駆動車で戦いを挑んだランチア 037 ラリーは、ストラトスの栄光を引き継いだ記念すべきマシンです。
そんなランチア 037 ラリーのミニカーは、当時物としては1/24〜1/25スケールのブラーゴ、ポリスティル、1/43スケールのソリド、ヴィテスなどがあります。
近年では京商、イクソ、hpi レーシングをはじめ、さまざまなメーカーが製品化していますが、それらのほとんどがラリー仕様。
いわゆるロードバージョンのストラダーレとして設計された製品は、京商の1/64スケールと、海外でミニカー付き雑誌として発売されたノレブ製の1/43ミニカーくらいしかなく、やや入手困難です。
ちなみに写真のhpi レーシング製 1/43 ランチア 037 ラリー 2台セットは、1984年のツール・ド・コルスで1-2フィニッシュを飾ったマシンをセットしたもの。
クオリティの高さでは現在もトップレベルにある製品です。
WRCにおける空前絶後のスーパーカー、ランチア・デルタ S4
WRCはその後、ターボエンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDを組み合わせたプジョー 205 T16がデビュー。
勝利の方程式といえる最強マシンの登場により、ランチア 037 ラリーの戦闘力は次第に低下していきました。
そんな状況を打破すべく、ランチアがWRCに持ち込んだ最終兵器がランチア・デルタ S4です。
ミッドシップ4駆に加え、スーパーチャージャーとターボチャージャーのダブル過給で450馬力を発生させるエンジンを搭載。
究極のメカニズムを手にしたデルタ S4は、デビュー戦となった1985年最終戦のRACラリーと、翌1986年の開幕戦モンテカルロ・ラリーで2連勝。
そのままシーズンを制するかに見えました。
しかし、第4戦ツール・ド・コルスで、エースのヘンリ・トイボネンが事故死。
あまりにも速くなりすぎてマシンの操縦も観客の熱狂もコントロールできなくなったグループBは、その年をもって廃止されました。
hpi レーシング製の1/43 ランチア・デルタ S4 2台セットは、ヘンリ・トイボネンが最後に優勝した1986年のモンテカルロ・ラリー出場車と、事故の直前までトップを独走していたツール・ド・コルス出場車をセットしたもの。
まさに記念碑的なアイテムです。
ミニカー大改造という無謀すぎるチャレンジ
ランチア・デルタ S4は、志半ばにして活躍の場を失われ、タイトルを獲得できなかった悲劇のマシンです。そのためミニカーの製品化が少なく、当時はブラーゴやMIRAなどの玩具的な製品しかありませんでした。もちろんロードバージョンのストラダーレなどはなく、プラモデルも1/43スケールのエレール製品のみという状況でした。
1990年代に入ってもグループB熱に冒されていた私は、そんな閉塞した状況を打破すべく、ブラーゴ製の1/24 ダイキャストミニカーをデルタ S4 ストラダーレに改造する荒唐無稽な試みを実行。
しかもその改造記事を月刊の輸入車専門誌のコーナーで紹介するという、今ではありえない企画を行なっていました。
写真は『外車情報ウィズマン別冊エクスプレス』1991年7月号の掲載記事である『ミニチュアカー大改造顛末記』。左のミニカーが当時製作した改造作品です。四半世紀以上が経過したため欠損部品が多く、見苦しいのはご勘弁。いつの日かレストアしたいものです。
月刊誌のため実質1ヶ月の突貫工事で仕上げなければならず、改造作業は想像を絶するものとなりました。ダイキャストボディの塗装の剥離から始まり、多くの部品を自作したり、手持ちのジャンクパーツをフル動員したりして、なんとか締め切りに間に合わせたことを思い出します。
改めて記事を読み返すと、あまりにも独りよがりな内容で思わず赤面。まったく若気の至りとしか言いようがありません。その後、デルタ S4のミニカーは、イクソが1/43製品を発売したのを皮切りに、さまざまなスケールの製品が登場。クオリティの高い製品も手に入るようになりました。
なかでもオートアート製の1/18ミニカーは、ダイキャスト製のフルディテール製品で、細部まで緻密に再現された入魂の一作。ラリー仕様のコンペティツィオーネとロードバージョンのストラダーレの両方が揃っています。
フード類やドアなどの開閉部分が多いため、1980年代の最新技術をフル投入したスーパーカーの細部を知ることができる傑作といえるでしょう。
北沢 剛司