徐々にネタがなくなってきたRF丸山です。というより家庭用ゲームソフト「コットン リブート!」の発売が迫ってきて色々と忙しくなってきたのが効いています。もっと語りたい自動車カタログはあるのに〜とか言い訳しております。というわけで「コットン リブート!」をどうぞよろしくお願いします〜。
ロードスター30周年車登場!?
今を遡る事1年半前、マツダロードスター30周年記念者限定車が登場しましたね。ニュースを知り元同僚に聞いてみたけど、とっくに完売しておりました。買い換えるつもりはなかったけど知らせて欲しかったな・・・。とか文句を言っても仕方がないのですね。まあ今のNDは気に入っていますのでいいのですが。
というわけで、30周年のNDのことは忘れて、ロードスターシリーズの10周年の限定車を少し振り返ろうと思います。
まずは「ロードスター10周年記念車」のカタログです。真っ青なカタログとイノセントブルーと呼ばれるボディーカラーが印象的なカタログでしたね。この鮮やかな青のボディーカラーはレギュラーモデルには存在しなく、先にFD3S型RXー7で登場していた憧れの色でした。この色に塗り替えてくれ!という既存ユーザーが多くいたのを覚えています。お客様の中にはAZー3をこの色に塗り替えられるか?という相談を受けた時、じゃあいっそFD買いません?とか言って購入してもらったこともありましたね。それぐらい良い色だったと記憶しています。
この限定車の特徴は、色だけではなく、メーカーの技術者たちの挑戦する心が入っていたと、登場の時に思いました。何しろ専用パーツのオンパレードでしたし、社内チューニングメーカーM2も真っ青なチューニングと呼ぶにふさわしい内容だったのです。(この頃にはM2は解散していたかと思いますが・・・)
顕著な専用品としては厳選された「ピストン」「コンロッド」「フライホイール」などが組み込まれているのです。つまりこの限定車のために重量バランスやフィーリングを加味し、数ある部品の中から厳選した物をチョイスし組み込んであるのです。これはまさにレーシングスペック!どうりで全世界7500台しか作られないはずです。レギュラーモデルでこんなことをやっていたら、途端に赤字になってしまいますね。
これはどういうことかと申しますと。自動車は決められた設計図と規定の部品から構成されていますよね?でも実際は各部品部品が必ずしも、理想の部品だけでは構成されてはいないのです。3万点以上からなる自動車の部品部品には、正に目に見えない部品単位の”誤差”というものが生じてしまうのです。だから同じ自動車で設計図通りに組み立てたはずなのに、個体によってはスペックに違いが出てしまうのです。それがかつて俗にいう”あたりの車””はずれの車”になってしまうのです。(故障しやすいとかではなく、スペック以上のフィーリングを味わえるという意味ですね)もっとも近代では顕著な個体差は極々微量ですよ!とメーカーの方が言っておりましたが・・・。
もし、上記のような部品単位で厳選した組み立てをしていては、コストがかさみ定価以上のプライスが付けられたことでしょう。この価格で購入できるのは全て誤差を含めた部品で構成される設計図通り、平均的に組み立てるからなのです。
そんな常識をこの限定車は打ち破って登場したのですから、営業マンとしては大変驚きました。
上記のような大量生産により単価を下げ、利益を上げる大メーカーの常識を打ち破った車というのは結構あったのでした。私の身近な情報で恐縮ですが、手生産を行っていたトヨタ2000GTやスカイラインGTーR(通称ハコスカ)、そしてNSXなんかも歴史に残る車だったのは多くの文献が証明されていますよね。近代では本田技研のタイプRシリーズは有名ですよね。(もっと多くの手生産車輌はあったはずですが、スペースの都合から割愛させていただきます。)
20周年記念限定車
このモデルが登場した時のことはよく覚えております。なぜならこの車両の主査をしていた「貴島孝雄」さんからメールが来たからなのでした。確か「私がプロデュースをした限定車が出るのでよろしく!」という内容だっ方と思います。(BCCメールだったかと思います・・・研修に参加した人だけなのかな?)少し感動しました・・・。
そんなミスターマツダこと貴島さんとの出会いは、マツダが苦しい時(2001年だったか?)、燃費と安全性が悪いスポーツカーも苦しい時に開催された、「スポーツカー説明会」でした。憧れの方にお会いできて嬉しかった覚えがあります。当時私はNA8C(RSリミテッド)を所有しており、数年前に登場したロードスターNBに疑問を抱いていた時だったと思います。せっかくなので、貴島さんにこれからのマツダの車づくりについていくつか聞いてみたいと思っておりました。
説明会という名の研修の席で、恐れを知らない当時(まだ20代)の私は、貴島さんに思い切ってマツダのスポーツカーの今後と、マツダのスポーツカー理念はいつかなくなるのか?と(恐れ多くも)質問したものでした。
その時の貴島さんの回答は今でもはっきりと覚えております。
「ご存知の通りこれからの時代、スポーツカーには必ず冬の時代が来ます。だけれどもマツダの人馬一体の車づくりはどんな車であろうと味わえるようにしたい。たとえそれが1,300ccの非力なシングルカムのデミオでさえ運転がうまくなる感覚を大切にしたい。」と仰ってくれたのです!マツダのスポーツカー精神は死んではいないと思ってものです。
何より「自分が思った通りにコーナーを抜けるってすごい楽しいよね!!」と笑顔で言った事を今でも覚えております。
その後、残念ながらFDが生産を終了しRXー7の火が消えました。REはなんとか生き残る為RXー8を発売し4ドアセダンとして延命したのですが・・・ピュアスポーツが消滅したことは私にとっては大変ショックでした。
しばらくして貴島さんはマツダのお膝元広島県で、車の楽しさを追求するお仕事についてらっしゃいます。その思想を後世に伝えるため日々研究しておられると退職前の社内ニュースで知りました。貴島さんをずっと応援していますと思ったことを今でも覚えております。
貴島さんのような車づくりに一本筋が通った技術者がマツダには多くいたような気がします。メーカー主催の新車発表会ですら若い技術者が熱弁を振るっておりました。彼らの熱い説明を聞けばすぐにそれは伝わってきました。ライバルにはない、マツダしか作れない物を世に出したい!との一心で車づくりをしていたように思えます。
もちろん他のメーカーにもこう言った熱い人は多いと思います。スバルや三菱のようにラリーにかける熱い思いを持った技術者。ルマンでの勝利に向け、悪なき挑戦をする日産やトヨタのエンジニア。F1にかける情熱のこもった技術を追求するホンダのエンジニアなど、日本の自動車エンジニアのプライドは今でも残っていると信じています。そんなエンジニアたちが支える、これからの日本の車を楽しみにしていたいものですね。
RF丸山
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